広報たいとう
平成19年(2007年) 1月1日(No.932)号
2・3 面

新春対談

 一昨年、東京藝術大学長に就任された宮田亮平さんをお招きし、新春対談を行いました。芸術を志したきっかけや、昨年、区に寄贈していただいた金工作品「日輪」、台東アートギャラリーについてお話ししていただきました。

 お正月について

区長 あけましておめでとうございます。よろしくお願いします。

学長 おめでとうございます。よろしくお願いします。

司会 学長のご出身は、佐渡ということですが、佐渡のお正月はどのような感じですか。

学長 佐渡は、半年は耐える、半年は爆発するというふうに、大きく1年の季節が分かれています。途中に春と秋があるという感じで、冬は耐えるしかありません。空には、雪を積んだ落ちてきそうな大きな雲がシベリアから来て、晴れる日がないです。それが日本アルプスへ行く、その下の島にいるのですから、横なぐりの雪、積もらない寒い雪です。そういうところだからもう耐えるしかない。
 正月は旧暦です。なぜかというと1月は寒すぎるから、2月になり少し春に近づいたころにお正月をする、という風習があります。だから、1月は年賀状が来るけど正月じゃない、というようなずれがあります。

区長 東京だと1月より2月のほうが寒いという感じですけれどね。佐渡では、むしろ2月より1月の方が寒い感じですか。

学長 2月は雪が降ってくれます。1月は雪が横なぐりだからしばれる(寒い)だけです。少し冬に向かっていく感じです。面白いですね。

宮田亮平氏
 宮田亮平(みやたりょうへい)

【略歴】
昭和20(1945)年 新潟県佐渡に生まれる
昭和45(1970)年 東京藝術大学美術学部工芸科卒業
昭和47(1972)年 東京藝術大学大学院鍛金専攻終了
平成2(1990)年 文部省在外研究員(ドイツ)
平成9(1997)年 東京藝術大学教授
平成13(2001)年 東京藝術大学美術学部長
平成16(2004)年 東京藝術大学副学長・理事
平成17(2005)年 東京藝術大学長

司会 家でのお正月の思い出はありますか。時期がずれているのであまりないですか。

学長 そんなことはないです。海が荒れて船が出ませんから、正月にはみんな帰ってこないです。それから、船が出ないから新聞が5日分ぐらいまとめて届きます。遅れてきた物を確認するということが冬の仕事なのです。初めて東京に来たときに、今日の夜にテレビで見たものが翌日の朝の新聞に載っていて、「これはうそだろう。どっちが本当なのだろう」と思いました。

区長 私たちは、「ニュース」だから、その日または翌日の新聞に載るのが当たり前に思いますが違うのですね。

学長 正月のころには、春駒など、門付け(芸人)の人たちが必ず来て、娯楽をしてくれて、それから、旅の話をしてくれます。佐渡では、佐渡の外から来る人たちのことを旅の人といいます。旅の人は何を持ってきてくれるかというと、文化を持ってきてくれる。新しい違いを持ってきてくれる。だから、みんな大切にしたんです。門付けが来たときに、一緒について回って見ていたり、おひねりをついでにもらったり、同時に、今の東京ではこうなっているという旅の話などをしてもらうと、夢が膨らむんです。

区長 佐渡しか知らないと、外の様子がとても新鮮だとか、いろいろな期待感がありますよね。

学長 そうです。夢が膨らみます。映像ができるのです。見えない映像を自分の中で作ります。同じ言葉をもらっても、みんな感じること、感じ方が違ったものです。次の日の小学校に行って話をすると、みんな言うことが違うわけです。これが面白いです。

司会 区長は、下谷生まれ下谷育ちですね。

区長 はい、今も下谷で暮らしています。お正月といっても新鮮味というのはないです。ただ、僕が子どものころは、子どもが近所に大勢いました。私はきょうだいがいないのですが、近所の友達がみんな一緒になって、大みそかに除夜の鐘が鳴ったら、近所の小野照崎神社に初詣でをします。そして、家に帰り寝て、元旦は家族でお雑煮を食べて、1年が始まります。お雑煮を食べ終わると、子どもの声が聞こえてきますから、外へ出て友達同士で遊びます。当時はまだ道路で遊んでいても、車が入ってくる状況ではなかったので、安心して外で遊べました。友達同士で外で遊んで、友達の家にあがって、お年玉を頂く。それはお互いさまで、お正月というのは、そういう楽しみがありました。子どものころ、近所にまだ東京大空襲の焼け野原が結構あり、そこでは、たこ揚げなど何でもできて遊べました。だから、今の子どもの、テレビやテレビゲームなどで、家の中に閉じ込もっているような状況はかわいそうですね。もっと表に飛び出して、遊ぶことができないかなと思います。

学長 そうですね。

司会 今年はこう過ごすということはありますか。

区長 今年もそうですが、元旦は氏神様へ初詣でに行って、それから、ほかの神社へ行ったりして、お参りをすると、3日くらいすぐ終わってしまいます。

司会 学長はいかがですか。

学長 一昨年の12月に学長になり、1年経ちました。偶然ですが、江戸時代に祭礼で江戸城に入ることができた、根津神社、日枝神社、神田神社、その3つの神社の仕事をさせていただいたので、今年はその3つの神社をお参りしようと思っています。

 金工作品「日輪」について

司会 学長には昨年9月に、金工作品「日輪」を区に寄贈していただきましたが、どのようなお気持ちからだったのでしょうか。

学長 東京藝大受験のために佐渡から出てきたときは、絶対受からないと思っていました。受からないけど来る、そんな感じでした。終着駅の上野駅に着いたときに、「ここが俺の出発駅だ。俺は1度佐渡を捨てたんだ」という気持ちになりました。上野に対する思いがとても強いのです。発信する場所というのは、東京藝大ももちろんそうですが、私にとって東京藝大は道場ですから、心のと言った場合は、台東区なのです。そして、台東アートギャラリーに作品を、と言われたときに、もう、爆発したんです。自分にとって、この原点の場所に作品を置かせていただける、これがうれしかったです。この作品は、自分が故郷から出てきたときの思い出の、不安8割、希望2割の自分を励ますように現れたイルカとの出会いを語っています。区役所に訪れるさまざまな方にとって、背中を押してくれる、ちょっとニッコリできる、ほっとできる、癒される、もうひとつ言うならば、次にときめきがあるような環境になってくれればと思いました。

▲昨年9月5日、区役所1階の台東アートギャラリーで行われた「日輪」の除幕式で作品説明をする宮田学長。「日輪」は、夜明けの太陽が水平線からのぼり、大海原を楽しく群れ泳ぐイルカの姿が形作られています。宮田学長は「イルカが楽しく群れ泳ぐ姿は、輝く未来を予言するようであり、台東区の発展と相重なるようである」と説明されました。
「日輪」の除幕式で作品説明をする宮田学長。

区長 区としても、区役所の1階にギャラリーを作り、東京藝大卒業生の作品や、宮田学長の作品を置いて、多くの区民の方々が区役所に手続きなどで訪れたときに、見ていただくということが、とても大切なことで、わざわざ美術館に行くことはできなくても、身近な所で素晴らしい作品を見ていただくという時間的な余裕というか、心の余裕というものを、何とかして区民の方々に提供したいということが始まりでした。

司会 見ている方々の表情などを見ていても、とてもほっとされた様子で見ている、そういう場所があるのがとてもいいなと思います。

学長 実は、僕はやきもちがありました。区は、学生の卒業制作を買い上げてくれていますが、ずっと、平面の作品ばかりで、いつか立体の作品が買い上げられたら、うれしいと思っていました。学生は卒業制作をもって社会にデビューしますので、そのときには作品が区にあり、それが、美術館でなくて、皆さんの目に触れるところにあるというところがよかったし、そこにあることにやきもちもありました。僕の作品もと思いました。まさか、あのように置かせていただけるなんて、感謝しています。

区長 こちらこそ、感謝しても余りあるものです。

司会 寄贈していただいた作品には、上京したときの気持ちが込められているのですね。

学長 そうです。上野駅に汽車が着くと「うえの、うえの」というアナウンスがあって、全員がホームを同じ方向に歩いて、反対に歩く人はいないという光景を思い出します。集団就職列車ですから、19歳のときに7時間かけて来ました。

区長 あのころは、随分時間がかかりましたね。学長を始め、集団就職で上京した方も、上野駅というのは、心の故郷になっているようですね。

 芸術家を志したきっかけ

司会 学長は、金属造形をされているお家にお生まれになったそうですが、鍛金の道に進もうと、決心をされた、きっかけがあったのですか。

学長 まだ、僕は自分を鍛金作家だとは思っていません。かつては車のデザイナーになりたいと思っていました。ネクタイを締めて、図面を書いているのではなく、書いたがうまくいかないと思ったら、工場へ走って、溶接の仕方が違うとか、このラインは違うから自分でたたくというように、現場もできるし、線も引けるという、両方ができる人間になりたかった。それで、鍛金を大学に入ってから選びました。大学院研究生として制作を続けていたら、教授から残れと言われ、そうこうしている内に、学長になってしまいました。でも、車のことはいまだに捨てていません。実は、3年前に、それらしいものができたんです。ダットサン(日産)がスポンサーで江戸開府400年を記念してコンセプトカーを作ったのです。その車のトップマークを作ってほしいという要請がありました。ダットサンのダットは脱兎のごとく、サンは太陽に向かって、というふうに考えて作りました。

司会 是非、見たいです。

学長 かっこいいですよ。スポンサーが乗って運転し、幕があいて、幕張の自動車ショーがオープンしたんです。だから、夢は40年かけてかなったわけです。でも、ウサギだけど、よく見てみるとなんかイルカなんです。

▲対談の様子(左は司会の台東ケーブルテレビ 西岡アナウンサー)
対談の様子

司会 家が金属造形のお仕事ということは関係ありましたか。

学長 あまり関係ないです。僕は7人もきょうだいがいますので、何人かはやっていました。僕は末っ子なので、獣医とか、美容師になろうと思ったりしました。

区長 好きにできる立場だったのですね。

学長 高校3年のときに、美術をやろうと思ったけど、金工家になろうとは思ってなかったです。

司会 学長は「日本現代工芸美術展」や「日展」などでさまざまな賞を受賞されています。その間にいろいろな苦労や努力などがあったと思うのですが、印象に残っていることはありますか。

学長 毎年面白いことをしようと思っています。面白いことは裏腹に必ず失敗が伴います。そして、面白いことは新しいことだから、未熟なのです。未熟な作品を出すから、人からの評価は低いのです。だけど、自分の中では、新しい挑戦、新しい技術ということに挑戦ばかりしていました。最近やっと、その技術と自分とが一体化してきたので、少し認められてきたかなと感じます。ただ、あきらめないで、面白く、一生懸命に忠実にやればということでしょうね。

区長 きちんと評価されるということですね。

学長 いつか必ず来ると思っていたのが、やっと少し、認められるようになったかなと思います。

司会 芸術の魅力とはどういうところにあると思いますか。

学長 難しいですね。まず、少なくとも日本人でよかった。日本の文化を知ってよかった。過去を知ってよかった。美しさを知ってよかった。それを知って育ってきたという日本の文化がある、それを今度は自分の中で昇華して、世界に発信していったときに、どこにも恥じないだけのものがあるのです。日本の文化がある。だから、芸術というのがしっかりしていると思います。そういうものがないと、こういう自信はないと思います。
 芸術は何かというと、僕はよく「芸術は身近なもの」と言っています。難しいものでなく、理解しようとするのではなく、いいと思ったらいい。誰でも好きな人がいて、ときめいたりするでしょう。何でもいいのです。そういうときめきみたいなものを、大切にして、それを、ほかの人の代わりに伝承者としてやるのが芸術家だと思います。難しいことをやっているわけではなく、そういうことを伝える人たちを芸術家といいます。いってみればプロですよね。

▲吉住弘区長
対談の様子

区長 私ども芸術に詳しくない人間だと、芸術家というのは、物の見方、聞き方、いろいろな部分で差があるのではないかと思ってしまいます。先を見て、いろいろなものを吸収して、美に表現するのが芸術家の本当の姿ではないでしょうか。

学長 そんなことはないです。誰でも子どものころは歌が好きだったでしょう、お絵かきが好きだったでしょう。ある時から、途端にいやになるのです。なぜかというと人と比べるからです。「あの子はうまい、僕は下手」というのをなくすことが、これからの僕の仕事だと思っています。一番初めに伝えやすいことでしょう。「お花が咲いた」「太陽が照った」「友達と一緒に手をつないだ」というのは、絵に描けるじゃないですか、歌にも歌えるじゃないですか。教育を数字で表すからいけないのです。その辺をこれから切り崩していきたいと思います。
 皆さんがもっています、その素晴らしさを、ときめきを。今日洋服を着る時にどれにしようか、ワイシャツとネクタイとの関係はどうしようか、髪はうまくいっているのか、これはみんな芸術なのです。ときめきのための芸術で、人に伝えるための芸術。同時に自分が「いいな」と思う、「よし今日はいいぞ」というのは、まさしく芸術です。

司会 なにか幸せな気分になりますね。区長は芸術についてはどうですか。

区長 僕は絵を見たり、写真を見たり、作品を見ることが大好きです。けれど、見ることは好きだけど、自分でできるものではないし、絶えず、その道に優れている人は素晴らしいなと思って、芸術というものを見ています。

学長 それで十分です。見てときめいていただくだけでいいのです。お互いプロ同士、区長には区長の素晴らしい仕事があり、僕らには僕らの仕事があるのですから。

 たいとう観光大使について
対談の様子

司会 昨年、学長には「たいとう観光大使」に就任していただきましたが、これはどのようなものでしょうか。

区長 これは、台東区を愛し、そして、各界で活躍されている方に、国際観光都市「台東区」の魅力を広く宣伝してもらうものです。例えば、学長が佐渡にお帰りになったときに、「東京藝術大学がある台東区はこんなところです。今度東京に来たら遊びに来てください」と言っていただくことから、観光大使の仕事が始まります。

司会 学長は、大使としての意気込みはどうでしょうか。

学長 お話を頂いたときは、うれしかったですね。また、ほかにも11名の方がいらっしゃいます。僕は観光大使として対応できるのかなと思いました。というのは、大使には素晴らしい方々が選ばれました。幅広く、いろいろなところから選ばれましたね。大使同士が友達になりたいです。大使の輪ができると、その輪がもっともっといろんな輪になっていく、その輪の上に「たいら」をつけて「平和」。そうなれば最高ですよね。それを台東区から発信していったら素晴らしいことだと思います。

区長 ありがたいことです。

 今年の抱負

司会 今年の抱負をお願いいたします。

学長 「精一杯」一番近くの足元でつまずかないようにやっていきたいと思います。
 また、東京藝術大学は今年、創立120周年を迎えるので、これを契機として東京藝術大学らしさを発揮していこうと考えています。今年の4月から来年の3月末まで年間を通して、展覧会や演奏会などの記念事業を展開していきます。それらの事業が大学発展の大きなバネとなることを期待しています。世界に伍(ご)していける芸術大学にしていくとともに、地元台東区に根ざした、地域に根ざした大学として、皆さんに愛される大学となるように考えています。
 今年は、街の中にアートを、皆さんの身近な所に芸術を、という気持ちが強いです。区長からもお力を頂いて、やっていきたいと思っています。

区長 今年も健康に注意して、区民の皆さんの豊かな生活のお手伝いを少しでもしていきたいなという気持ちでいっぱいです。

司会 今日はありがとうございました。

学長 区長 ありがとうございました。


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